楠見 孝 1998 シンポジウム「感情の生得主義と社会構成主義:ヒトと文化をつなぐもの」
日本心理学会第62回大会発表論文集, S29.
楠見 孝 (京都大学 教育学研究科)
キーワード:認知言語学,メタファ,知識,
本発表の目的は,感情経験の言語表現における生理・身体的基盤と社会文化的基盤について認知心理学,認知言語学の観点から検討することである.感情の言語表現は,(解釈,記憶などの)個人内伝達と(会話,作文などの)個人間伝達を支えている(楠見,1996).ここで,感情言語は,自他の感情認知過程を支える認知モデル(フレーム)を明らかにする手がかりとして考える.さらに,ここでは,感情経験と感情言語の生成を支える階層(e.g.,Leventhal,1991)として,(1)感覚・運動レベル,(2)スキーマレベル,(3)概念レベル
--を想定し,その生得的基盤と社会文化的基盤を検討する.
1.感覚・運動レベル:感覚語,慣用句の文化的普遍性
感覚・運動入力は,生得的システムに支えられて,快-不快などの評価を経て感情に影響する. したがって、感覚語(明暗,軽重など)は,固有の感覚領域だけでなく,気分や感情を表現にも用いられる(例:明るい,重い気分).ここで,感覚語の意味空間における基本次元(快-不快,強-弱)は感情の次元(快不快,覚醒-睡眠)と同型の構造を持っているため,転用を可能にしている(楠見,1988).こうした感覚語の意味次元共通性は,基礎感情語の文化的共通性を支えていると考えられる.
また,感情を表現する慣用句(提喩)には,表情・身体部位や器官の変化に基づくものが多い(例:身の毛もよだつ,赤くなる).これらの自律的反射,表出に関わる表現は,文化的普遍性があるが,直接観察できない変化に関わる表現(例:腹が立つ)には文化差がある.これは,つぎの2,3のレベルに関わる.
2.スキーマレベル:感情イメージスキーマの文化的普遍性
認知言語学者たちは,異なる文化間の感情の比喩表現,慣用句を分析し,それらには文化や言語の差異を越えた共通性があることを指摘している.たとえば,"怒り"に対しては"熱くなる(get
hot), 爆発(explode), 切れる(burst a blood vessel)"等の比喩表現が用いられる.こうした表現は,英語,ハンガリー語,中国語,日本語に共通性している(Kovecses,In
press).その理由は,人類に共通した生理,感覚運動的経験に基づいて身体化(embodyment)されたイメージスキーマがあるためと考えられる(Gibbs,1994).
感情に関わる感覚・運動入力は,反復によって抽象的なパタンやスキーマが形成されると考えられる.たとえば,怒りは,血圧,体温の上昇や顔の紅潮などの生理的変化と,統制の試みに失敗すると行動が現れる.こうした変化パタンは,統合,イメージ化されて,心の容器における液体の沸騰,圧力増大,コントロール不能,爆発といったイメージスキーマとなる.たとえば,楠見(1993)は,4つの感情"怒り,喜び,悲しみ,幸福"について,112名の大学生にイメージ画を書かせて,それを分析した.その結果,たとえば,怒りに関しては"爆発"のイメージ,悲しみは"下降",喜びや希望は"上昇"といったイメージが多かった.この結果は,Edwards(1986)のアメリカでのデータと対応している.こうしたイメージ画が,文化間普遍性をもつことは,これらがイメージスキーマとして,感情の認知モデルの基盤になっていると考えられる.
3.概念レベルの文化的普遍性と特殊性
スクリプトにおける文化的普遍性 感情言語の理解や産出は,感情生起や統制のスクリプト(プロトタイプ・シナリオ)に支えられている.これは,感情に関わる理解や表出行動を支えている知識(規範や規則を含む)でもある(Lakoff,1987).たとえば,怒りのスクリプトは5段階[出来事→怒り→制御の試み→失敗→表出と均衡回復]で表現できる.ここで,文化的普遍性が高いものは,感情の生理的反応パタンや閾値,行為準備状態である.文化的差異が高いものとしては,感情を引き起こす出来事,制御-報復(表出規則,規範)がある.たとえば,感情的な行動の表現("怒りを押し殺す","喜びをかみしめる")や,社会文化的感情事象はこれに当たる(例:甘え).こうしたスクリプトは,イメージスキーマとあわせて,自他の感情理解を支える素人理論(folk
theory)の一部を構成する.ここで,文化内の個人差は,生理・神経システムにおける個人差を土台として,文化や環境に依存して,形成されると考える.
概念体系と規範における文化的差異 感情言語を支えているスクリプト的知識はカテゴリ的な概念体系に埋め込まれ,さらに,実際の行動の適切性判断を支える規範に関する知識とも結びついている.ここでは,その例として,愛の概念を取り上げる.
愛は,生殖や配偶,社会的生活を円滑におこなうために,進化した感情である.人間関係を運用する社会システムの影響が大きい.愛を刺激語として,連続連想を114人の日本人大学生にさせると,下位カテゴリである恋愛(68%),家族愛(39%)が高い出現率を占めるが,カナダの大学生では,友情(61%),性的(30%)が占める.下位カテゴリにつづく連想には,"デート"や"結婚式"などの場面やスクリプトが出現する(楠見,1996).つぎに,愛のメタファを生成させると,"炎","火"といった感情喚起,"ガラス","風船"といった脆弱さ,"病気","盲目"といった統制不能な側面を顕在化させるようなメタファが多かった.一方,恋愛に関する規範として,Simonら(1992)はアメリカの女子中学生からの会話観察や面談から,同性愛禁止,一対一恋愛,先取り権尊重などを見いだしている.それらの規範群に対する支持不支持を,日本人女子大学生168人に質問紙で調べると,各規範の支持率は,26%,36%,17%であり,反対率も高かった.これらの規範は観察対象である仲良しグループの人間関係を崩壊させないための規範として考えられる.しかし,日本人大学生に規範についての自由記述を求めたところ,こうした規範を守ることは,他者に対して求めるが,自分の恋愛感情は統制できないという二重規範を指摘する者が多かった.ここで,恋愛規範群に対する態度には,一貫性がみられ,文化内の個人差も大きかった.
4.まとめ:感情の文化的モデル
感情の文化的モデルは,感覚運動的レベルの表象を基盤に,スキーマ,概念体系,スクリプト,規範を含む認知モデルである.感情の感覚運動的入力には,生理学的制約が働き,さらに,形成過程や発現過程には社会文化的制約が働いている.たとえば,感覚運動的過程と環境の普遍的特性(例:重力方向)に基づくイメージスキーマには文化的普遍性がある(例:悲しみに沈む).一方,感情の制御や表出に関わるスクリプトや規範は文化特殊な共有知識である.生得的制約と社会文化的制約による相互構成的過程は,感情の文化的モデルを構成する感情言語やメタファ的概念体系に現れていると考える.
主な文献 楠見 孝 1996 感情概念と認知モデルの構造 土田・竹村(編) 感情と行動・認知・生理 誠信書房
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